日本の文化は、中国大陸からの伝承をもとにしたものが多いですが、畳 (たたみ)は日本民族の生活の知恵が生み出した日本独自の文化です。湿度が高く天候の変化が激しい日本の風土に適した「敷物」であり、その機能性の素晴らしさは世界一とも言われています。
- 縄文・弥生時代
約1400年前の縄文時代の頃の遺跡から、莚(むしろ)らしきものが発見されています。
- 712年|奈良時代
古事記(太安麻呂撰・和銅五年<712年>)中巻
「 葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し 神武天皇」
古事記(太安麻呂撰・和銅五年<712年>)中巻
「 海に入りたまはむとする時に 菅畳八重 皮畳八重
きぬ畳八重を波の上に敷きてその上に下りましき 景行天皇」
- 720年|奈良時代
「日本書紀」(舎人親王他撰・養老四年<720年>)には「八重席薦」の記述があります。
- 759年|奈良時代
「万葉集」(奈良時代<759年>)には、「木綿畳」「八重畳」「畳薦」といった文字があります。
現存する畳の古いものは奈良時代のもので、奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用した「御床畳」(ゴショウノタタミ)という木製の台の上に置かれ ベッドとして使われたものです。これは現在の畳と同じように真薦(マコモ)を編んだ筵(ムシロ)のようなものを5~6枚重ねて床として、表にい草の菰(コモ)をかぶせて錦の縁をつけたものです。この台を二つ並べて寝床として使われていました。
「古事記」に倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の際、弟橘姫(わとたちばなのひめ)が入水のくだりに「海に入らんとするときに、菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を波のうえに敷きて、その上にくだりましき」とあり、また神武天皇の御歌にも「あし原のしけき小屋にすが畳いやさやしきて我二人ねじ」ともあります。
このように「畳」の文字は、古事記や日本書紀、万葉集などに「管畳」「皮畳」「絹畳」といった記述で登場しており、当時は、こうした敷物の総称で、畳める (たためる)もの、重ねるものの意味を持っていましたので、現在の莚(むしろ)のようなものであったと思われます。
- 794年|平安時代
「枕草子」には、清涼殿内の描写に「たたみ」の文字
「栄華物語」の清涼殿や弘徽殿内の描写にも「たたみ」の文字
「倭名類聚抄」(倭名抄。源順撰・承平七年<937年>)の座臥具第八十八の項
畳 本朝式(延喜式のこと)ニ云ウ。掃部ノ寮ニ長畳、短畳。唐韻ニ云ウ。
徒協ノ反、重畳ナリ。和名、太々美。
平安時代に入って貴族の邸宅が寝殿造 (しんでんづくり)の建築様式となると、板敷の間に座具や寝具などとして畳が所々に置かれるようになりました。当時は天皇、貴族の屋敷にしか使われておらず、縁の柄や畳の大きさなどで、身分の階級を表す役目をはたしていました。この置き畳として使われている様子は絵巻物等に描かれていたり、京都御所の清涼殿に、寝殿造の板敷で部分的に畳を使う形式が残っています。この頃は畳座布団のような座具であったり、寝具に使われていました。
- 1192年|鎌倉時代
鎌倉時代から室町時代にかけて書院造(しょいんづくり)になると、小さい部屋は畳を敷き詰め、広い部屋では中央に板敷を残して周囲だけに畳を追い回す形式の図が残っています。その後、部屋全体に畳を敷き詰める使い方になりました。
それまでの客をもてなす座具(ざぐ)であった畳(座布団に近いモノ)が、建物の床材になり始めていきました。
- 1306年|鎌倉時代
『法然上人絵伝』(舜昌・徳治~延慶年間<1306~1311>)の「浄土五祖像礼拝図」には畳が敷き詰められています。この頃の畳職人は、畳差」「畳刺」と呼ばれていました。
- 1392年|室町時代
室町時代になって畳が部屋全体に敷きつめられるようになり、桃山時代から江戸時代へとうつり草庵風茶室が発達し、茶道の発展に伴って数奇屋風書院造に変わりました。炉の位置によって畳の敷き方が替わり、日本独特の正座が行われるようになったと言われています。この頃の畳職人は「畳大工」と呼ばれていました。
- 1573年|安土地桃山時代
桃山時代から江戸時代へと移るに従い、書院造は茶道の発展によって茶室の工夫や手段を取り入れた数寄屋風の書院造になっていきました。
茶室建築から畳はやがて町人の家に引き継がれていきます。
- 1590年|安土桃山時代
この頃に福岡県筑後地方でイ草の生産が始まったようです。
- 1603年|江戸時代
江戸時代には、御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっては重要なものになりました 。畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降のことであり、農村においてはさらに遅く明治時代になってからでした。
江戸時代の長屋では、畳は長屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれており、大家が用意しておくものではありませんでした。そのため畳の手入れをして長持ちさせる様々な知恵や工夫が生まれて来ました。
- 1868年|明治時代
縁の柄などで身分の階級を表していた畳の規制が解かれて、一般社会に広く普及するのは、明治維新後になります。畳干しをこまめにして、傷むのを防ぎ、畳表が日焼けしたら裏返えしをして使うという習慣を含めた日本古来の畳文化は今でも続いています。
年の瀬になると、家中の畳を外して庭先に干して湿気やホコリを取る畳干しの風景がどこの家庭でも見られていました。
- 1945年|昭和時代(第二次世界大戦終戦~)
終戦後、高度成長とともに生活様式も洋風化し、座る生活から椅子の生活に変わり、絨毯(じゅうたん)などが 普及し始めましたが、寝室などの居室は畳が敷かれた和室が中心でした。
- 1990年|昭和時代
板張り(フローリング)が、価格の安さと品質の向上と共に普及してきました。
和室の設計にはフスマ、障子などの付属物が必要となり時間と費用がそれなりに必要です。住宅価格のコストダウンにより畳の部屋づくりが見送られることが多くなりました。
しかし、逆にフローリングの不便さ(防音、断熱、くつろぎ感が不十分)も認識されて、畳の必要性を見直す動きもあり、フローリングに敷いて使用する「置き畳」など畳の新 しい製品が普及しつつあります。
最近では、畳の素材も昔の藺草(いぐさ)とワラだけでなく、さまざまな新しい 化学素材などが開発されて使われるようになりました。