- 77000年前|中期石器時代
南アフリカのシブドゥ遺跡では殺虫性の化学物質を含む芳香植物(スゲや他の単子葉植物)から、葉を切り取ったベッドと推定されるものが作られていました。これがベッドだとしたら、現時点では世界最古となります。
- 73000前|中石器時代
虫除けという目的もあるらしきベッドを作り、居住環境の維持のためにそれを定期的に焼いたらしい痕跡がありました。
- 5200年前|エジプト文明
紀元前3200年のエジプトには、現在に至るベッドの形態の原形とも言えるものが発生していたことが、多くの埋葬品や壁画によって見ることができます。この時代のベッドの特徴はヘッドボードがなくフットボードのみで、枕はまだ使われておらずヘッドレストが使われていました。マットレスの形態はまだ無く、動物の革や畳んだ衣類をそのように用いていたようです。
初めてヘッドボードが出てきたのは、エジプトに続く文明社会であるメソポタミア、バビロニア、アッシリア、フェニキアの時代の頃です。
- 2000年前|ローマ帝国時代
紀元前27年ローマ時代に入るとベッドルームの前身ともいうべき「キュビキュルム」が作られたり、アールコーブにベッドを置く形式も発生してきました。
- 710年|奈良時代(日本)
中国より日本にベッドが伝わりました。正倉院には聖武天皇と光明皇后の木製のテーブルのような形状のベッドが保管されており、それを覆っていた布もありました。その布の寸法を測ったらベッド二つ分一致していることから、2台を並べて使われていたと想像されてます。
- 794年|平安時代(日本)
日本においては、平安時代になると、畳文化が始まることから、畳が現在の敷布団の役割であり、掛布団の役割をするのは、衾(ふすま)といわれる長方形の一枚の布地を就寝時に体にかけて用いていました。一部で使われ始めていた中国伝来のベッドは、畳の発達とともに姿を消していったようです。
- 799年|延暦18年(日本)
褐色の肌をした崑崙人(こんろんじん)という若者が現在の愛知県(三河国)に綿の種を持って漂着したことで、日本に初めて「綿」が伝わったとされています。その様子は「日本後記」に細かく書かれており、 崑崙人はその後。寺に住居して綿花の栽培を村人に教え、やがて勅令によって紀伊 淡路、伊予、土佐、讃岐、大宰府などの土地に蒔いたといわれています。しかし綿の栽培方法は決して簡単なものではないので一時期は衰退していきます。
- 1096年|第1回十字軍
11世紀、ローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムの回復のために始められた
軍事行動である十字軍に派遣された兵士たちがカーテンをヨーロッパに持ちかえったことにより、ベッドの回りにもそれがとりつけられるようになりました。この事によりベッドには新たに独立した部屋のような機能が派生しました。
政情が安定するにつれて装飾性を求めるようになり、カーテンが取り付けられていた部分が木製のパネルに変えられるようになると、部屋の中にもう一つ部屋が作られるといった様子になってきました。今世紀まで続くボックスベッドの原形ともいえるものです。
- 1300年|中世ヨーロッパ時代
14世紀の上流階級においては「寝室」という概念がなく、寝室が他の部屋と区別されておらず、「広間」が生活の場だったようです。そのような広間に「寝室」としての区切りをしたり、隙間風を防ぐ役割として天井から吊るされたカーテンが「天蓋付きベッド」の始まりです。上流階級の建物は天井が高く、高い部分に積もったホコリがベッドに落ちて来ないように天蓋付きベッドが作られました。
- 1400年|15世紀
15世紀に起こったルネッサンスの動きは、それまで部屋の隅や奥に置かれていたベッドを部屋の中央に出すようになりました。同時に部屋とのバランスが考えられるようになりました。また、住む家屋の大型化により部屋数も増え、独立したベッドルームも作られるようになりました。(尤も現在のように寛ぐためというよりは自己防衛の要素が強かったわけで、同じベッドルームの中にガードマンを一緒に休ませていたことが多かったようです。)16世紀のフランスでは、歴代の王たちの政務がベッドの上で行われるようになりました。それら王たちの使ったベッドは「正義のベッド」と呼ばれ、またそれに倣って貴族たちも人と会ったりする際にベッドを使うようになり、それらは「謁見のベッド」と呼ばれました。
- 1500年|16世紀(日本)
16世紀中期の天文時代に衰退していた綿が再来しましたが、この頃は国内生産ではなく朝鮮半島からの輸入が活発であり、やがて中国からも輸入が 行われていました。
- 1600年|江戸時代(日本)
江戸時代になると、掛け寝具=夜着(よぎ)、敷き寝具=蒲団・フトンと呼ばれるようになりますが、ふすま、畳、夜着・蒲団は、富裕層の寝具であり、農村においてはムシロが寝具でした。
江戸時代中期以降に松尾芭蕉の弟子である服部嵐雪が「ふとん着て ねたる姿や 東山」という俳句を詠んでいます 。
つまり蒲団(敷き寝具)をかけて眠る姿が東山のようであるという意味であり、この頃から蒲団を上に掛ける文化、着物のような夜着に綿が入った四角い掛け布団の文化が始まったようです。
- 1700年|18世紀
18世紀に入るとマットレスが大きく進歩しました。それまでのただ袋の中に藁や綿などを入れていたものから、現在の形状に近い形で鳥の羽や獣の毛を詰めたコンパクトなものに変化しました。
- 1800年|19世紀
科学の進歩と共に金属製のベッドが大きなブームになり大量に生産されました。また中期から後期にかけてヨーロッパとアメリカに於いてベッドに対するパテント保護が与えられるようになり多数の新案が考えられました。このことは主にボトムの進歩に大きな影響を与えました。
- 1868年|明治時代(日本)
畳文化が富裕層だけではなく農村部など一般社会にも広く普及し、畳に綿が入った布団を敷いて眠るという布団文化が確立しました。同じ時期、明治天皇の近衛兵の息子である宇佐見竹治氏が1890年開業の帝国ホテルに就職し、その後イギリス留学をしました。そこで西欧文化に触れ、「ベッドで眠る」というスタイルを日本の生活に持ち込みたいと考え始めていました。
- 1920年|20世紀
マットレスは、藁や綿を袋に詰めたものから布に鳥の羽や獣の毛などを詰めたものに進歩してきましたが、1920年にインナースプリングマットレスが登場しました。この出現により、ダブルクッションタイプのベッドの考案がなされ一つのベッドスタイルが確立されます。またスプリングの改良が進むと同時にフレームのデザインも大きく進歩し、プラットホームタイプを初めとする様々なデザインが工夫され多様性が出てきました。
- 1926年|大正15年(日本)
イギリスでベッド&マットレスという新しい寝具の製造法を研究して帰国した宇佐美氏は、大正15年に日本羽根工業社を設立し、その後、ベッド製造にも業種を広げて行きましたが、当時はまだ、一部の高級官僚や富裕層を対象として特注で作られていたようです。
- 1956年|昭和31年(日本)
終戦後、車両シートの製造工場であった双葉製作所が車のシートのスプリングを利用したソファーベッドを製造・販売開始しました。月々少しづつ掛け金をして、一定の金額が貯まると商品を購入すると言う方法とTV宣伝により、それまでの一部の高級層だけではなく、庶民にもベッドが普及していきました。
- 1963年|昭和38年(日本)
「昼はソファー夜はベッド」のソファーベッドではなく、眠るため専用のベッドが本格的に日本国内で生産・販売開始されました。
その後、日本経済の高度成長に合わせて、さまざまなメーカーにより多彩なベッドが製造・販売されてきました。
参考文献:
Wadley L. et al.(2011): Middle Stone Age Bedding Construction and Settlement Patterns at Sibudu, South Africa. Science, 334, 6061, 1388-1391.http://dx.doi.org/10.1126/science.1213317
「ベッドの本」海鳥社、マーク・ディトリック著、黒木 昂志訳
「綿と木綿の歴史」(御茶ノ水書房)武部善人著
「綿團要務」(日本農業全書15)大蔵永常著
「知多もめん」(知多市歴史民俗博物館)木綿の歴史と綿打ちについて 丹羽正行著
「木綿以前の事」(創元社)柳田國男著